【歌詞考察】キリンジ『エイリアンズ』 虚しい愛を求める若者たち
先日、YouTubeのオススメ動画でキリンジの『エイリアンズ』が流れてきた。初めて聴いたメロディに作業の手を止めた。画面をボーっと眺めながら、言葉にならない何かが胸に染みわたるのを感じた。
それから1週間以上、曲を聴き込んだ。原曲を聴き、カバー動画を聴き、藤井風のピアノ動画を観て、自分でもピアノで練習した。それからまた原曲を聴いて、昼間は喫茶店で歌詞を読み、寝付けない夜には歌詞ページをみつめながら何時間も酒も飲んでいた。
こんなに1曲に没頭できるのも、無職ならではである。せっかくなので、『エイリアンズ』の歌詞やその世界についての考察と解釈を記しておきたい。
この楽曲を知らない方は、私の長ったらしい考察はともかく、ぜひ動画を再生して6分間聴くだけでもしていってほしい。
エイリアンズ誕生秘話
『エイリアンズ』の作詞作曲をした堀込泰行は、著書『自棄っぱちオプティミスト』の中で、兄・堀込高樹やインタビュアー・ミズモトアキラに「泰行らしくないAOR的なメロウさ」を指摘される。
それに対して堀込泰行は、
俺もそこまでAOR的な音が好きなわけじゃないから、でもそういう曲になってきちゃったんで、違う方向づけというか、別のテイストをいっぱい盛り込みたいと思ったのね。
(中略)
だからあえて、埼玉の田舎を夜中に彷徨ってる子どもたち…みたいな詞にしたんだよ。サウンドもストレートなメロウさというよりは、若いミュージシャンが背伸びして、渋い音楽をやっている感じっていうかさ。
と語る。(キリンジ『自棄っぱちオプティミスト』より引用)
ちなみにAORとは、アダルト・オリエンテッド・ロック(Adult-Oriented Rock)の略で、端的にいえばメロウさんなどに都市感を帯びた、大人向けのロックのことである。
また同文脈で、堀込泰行は『エイリアンズ』の歌詞は「高校生の恋愛の話」だとも語っており、楽曲全体の世界観としては、「(夜中に彷徨う)高校生」「恋愛」「よくある町(≒埼玉の田舎)」あたりが大きな要素であると捉えられる。これらの前提を踏まえて、歌詞を見ていきたい。
歌詞考察
遥か空に旅客機 音もなく
公団の屋根の上 どこへ行く
誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ
バイパスの澄んだ空気と 僕の町
歌い出しにはまず「よくある町」の描写がメインとなる。ポイントとしては、旅客機を「ボーイング」と歌うところ。これは、「飛行機」「りょかくき」と歌うよりも「ボーイング」の方が身近に感じられるし、また単にイントネーションによる雰囲気や世界観を保つためでもあるだろう。
「誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ」では、「僕ら」が他人の機嫌を気にする程度の社会性は持っていることが読み取れる。
バイパスや公団のある片田舎で、ぼんやりと夜空をボーイングが行くのをながめている、センチメンタルなシーンが浮かび上がる。
泣かないでくれ ダーリン
ほら 月明かりが
長い夜に寝つけない二人の額を撫でて
先ほど「僕の町」という単語で、一人称が男であることがわかった。日常会話的には男性が「ダーリン」に違和感を覚えるかもしれないが、元来「愛しい人」「あなた」という意味で、性別を問わず使うことができる。
「月明りが寝つけない二人の額を撫でる」といった表現から、まず月がなんらかの比喩であることが予想される。
歌詞を追っていくと、少しずつぼんやりと世界が広がってくる。スローテンポなメロディと足並みを合わせるように、歌詞もゆっくりと展開する。次にサビに入って以降も、ぼんやりとした世界がじんわりと広がっていく。
「のちのち意味が理解できる描写」が続くが、徐々に広がっていく楽曲の構成を最大限に伝えるため、じれったいものの考察・解釈にあたっては引き続き順番に歌詞を追っていくこととする。
まるで僕らはエイリアンズ
禁断の実 ほおばっては
月の裏を夢みて
キミが好きだよ エイリアン
この星のこの僻地で
魔法をかけてみせるさ
いいかい
ついに曲名でもある「エイリアンズ」というワードが登場し、続いて「エイリアン」という単数形のワードも出てくる。
エイリアン、英単語「alien」には、宇宙人、外国人、よそ者などの意味がある。エイリアンズという言葉によって、「僕ら」は”ある何か”とは異質なものであることを表す。
文脈的にそれは、「社会」や「大衆」である。この星のこの僻地というのは、社会のはみ出し者である僕らを表している。
ここで歌い出しを振り返れば、「夜空を行く旅客機」や「僕の町」を、よその町かのように眺める「僕」のやや俯瞰的な視点に、ニヒリズムが漂う。
「誰かの不機嫌も寝静まる夜」に、僕らは寝つけない。僕らは、大衆と何かが違う。でも、わかりやすい不良でもない。「誰かの不機嫌」を察知できる社会性も持っている。
そして僕は、「まるで僕らはエイリアンズ」と口にする。その言葉には(僕もキミも、はみ出し者同士だよね)という確認するかのような僕の思いが隠れている。
その後、「禁断の実を口にして、月の裏を夢みる」といった描写がつづく。
禁断の実は、芸術において、不法・不道徳・性的快楽の比喩とされることが多い。具体的に「薬物」「セックス」などを連想することもできなくはない。
しかしここでの禁断の実は、原義通り、「手にすることができないもの」「ほしくても手にすることができない、そしてさらに欲望の対象になるもの」を意味していると捉えると、楽曲全体の解釈がしやすい。
「手にすることができないもの」の味を知ってしまった僕らは、もっと、もっと、と禁断の実の無限ループに陥ってしまう。一体それはなんなのか。
それが、僕らが夢みている「月の裏」である。月とは遠くに目に映るが届かない存在、つまり、理想のメタファーである。そのさらに裏というのは、その理想の際たるものを意味する。
人類は、太陽に着陸したことはないが、月面には着陸したことがある。決して不可能ではないと思える。でも、それは実際問題、不可能なのだ。可能性を感じるが、不可能なもの。それが月の裏に行くことであり、理想という名の叶わぬ願いだ。
そして、「君が好きだよ エイリアン」で、初めて僕のストレートな気持ちが言葉になる。ただ、ここまででキミがどんな様子なのかの描写がほとんどない。唯一、キミが泣いているということだけだ。
僕は「魔法をかけてみせるさ いいかい」と、泣いているキミを前にして、道化のようにオプティミスティック(楽観的)な振る舞いをする。僕は、単純なニヒリストでもなければ、そこ抜けて明るい奴でもない。
ここでは単に一つの存在としてキミを「エイリアン」と呼んでいるように思われる。この後、徐々に「エイリアン」に込められた意味や、禁断の実、月の裏というワードに秘めた理想とはなんなのかが明快になってくる。
どこかで不揃いな 遠吠え
仮面のようなスポーツカーが
火を吐いた
笑っておくれ ダーリン
ほら 素晴らしい夜に
僕の短所をジョークにしても眉をひそめないで
日常の一場面を詩的に切り取っている。
仮面のようなスポーツカーとは、大きなエンジン音の鳴るスポーツカーで自分を表現する者たちを言うのだろう。
遥か空をゆく旅客機も、どこか遠くに聞こえるエンジン音も、歌詞において事実描写に徹することで逆に心のざわめきがぼんやりと浮き出てくる。
そんな夜、キミ(ダーリン)は、僕が短所をジョークにしても笑わずに、浮かない顔をする。ここまでで歌におけるキミの描写は、「(何かに)泣いている」「笑わない」ことしかない。
こんなに僕が「好きだよ」と言っても、ジョークを言っても、「ダーリン」と呼んでも、である。キミには、僕が映っていない。
そうさ僕らはエイリアンズ
街灯に沿って歩けば
ごらん 新世界のようさ
キミが好きだよ エイリアン
無いものねだりもキスで
魔法のように解けるさ いつか
人々の寝静まった深夜、街灯に沿ってあてもなく歩く僕ら。日常から飛び出し、「ココではない、どこかに向かっている」というささやかな高揚感が、新世界を想起させる。
人間、いや、僕らエイリアンズの感情なんて、そんなひとときの、小さな出来事や現象で揺れ動くものだ。
「無いものねだり」とは、この楽曲に通底する、理想を追い求める心の動きである。
僕は、明らかにキミを通して絶対的な愛を求めている。一方で、キミが何を追い求めているのか描写がない。僕にはわからないのだ。
街灯に沿って歩くだけでも、口づけを交わすだけでも、かなわぬ願いや絶望を忘れられる。
そしてそんな気持ちもいつかはなくなって、生きていける。本当は忘れられないこともわかっているのに、そう僕に言い聞かせようにキミに伝える。
踊ろうよ さぁ ダーリン
ラストダンスを
暗いニュースが
日の出とともに町に降る前に
ラストダンスは、「踊り続ける」「歩き続ける」「体を重ねる」など、僕とキミで行う何かをひっくるめた表現のように思われる。
朝になれば、暗いニュースが町に降ってしまう。あらゆる現実が乱暴に僕らに降り注ぎ、太陽から逃げるように、はみ出し者として過ごさなければならない。
だから、眠ってしまうまでの間に、今夜僕らが夢をみたぼんやりとした記憶のまま、「ラストダンス」を踊るのだ。ラスサビ、ラストダンスに入る。
まるで僕らはエイリアンズ
禁断の実 ほおばっては
月の裏を夢みて
キミを愛してる エイリアン
この星の僻地の僕らに
魔法をかけてみせるさ
大好さエイリアン
わかるかい
キミのことをダーリンと呼び、エイリアンと呼び続けた僕は、最後に「大好さエイリアン」で締める。
結局、キミが何を考えて、何に困っているかわからない僕は、キミの抱えるすべてを「魔法」で解決するしかない。
キミのために道化のように「魔法をかけてみせるさ」という僕は、本当はキミのためだけでなく、自分の願いも魔法でかなえたい。
僕が月の裏に行くかのように望み続けるのは、キミからの愛だ。
愛情を込めて「ダーリン」と呼んでも、「好きだよ」と言い続けても、最後までキミの好意的な反応は描かれなかった。
つまり、キミは僕ではないどこかに目が向いているか、もしくはどこにも目が向いていないのだ。
そもそも、人間(エイリアン)は絶対的孤独を抱える生き物だ。身体をいくら重ねても、その1%も合体することはできない。一心同体は比喩に過ぎない。
いくら求めても、僕はキミになれないし、キミは僕になれない。ならば、身体はともかく、せめて心だけでも通わせたい。いっしょに過ごして、泣いて、笑って、思いや気持ちを共にしたい。
でもキミの気持ちは、僕の方には向いていない。そばにいるけど、果てしなく遠くにいるように感じるキミ。
それでも、僕は平気さ。たとえ違う星のエイリアン同士でも、キミが好きだ。どんなに離れていても、決してこれ以上近づけなくても、もっと近くに、もっともっと近くに行くんだ。
僕は絶望と空虚を閉じ込め、月明りが消えた夜更け、月の裏を夢見ながらおどけて口にする。
「魔法をかけてみせるさ 大好さエイリアン わかるかい」
『エイリアンズ』を含むキリンジのアルバム『3』はコチラ
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