2024-11-11

キャリアブレイクと幼老共生 書評と考察

無職133日目である。2週間に1回は図書館に行って、最大貸出数の20冊借りてくる。近場のカフェやマックに出かけたり、家でだらだらしながら読むのだが、結局10冊ぐらいしか読み切れない。

今回は、『キャリアブレイク — 手放すことは空白(ブランク)ではない』(北野貴大・著)という本を借りた。少し前にもキャリアブレイクに関する本『仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択肢 次決めずに辞めてもうまくいく人生戦略』を買って、下記記事にて紹介した。

キャリアブレイクとは、要約すれば「ある目的のために一時的に離職、休職するなどして、仕事に就かない期間を持つこと」である。

  

左側の「仕事のモヤモヤに効く……」がざっくりとした解説のビジネス本とすると、右側の「手放すことは……」の方は8人の事例を基にキャリアブレイクの定義付けや考察をした、専門書に近い内容になっている。共著者にはキャリアブレイクの論文を発表している石山恒貴史・片岡亜紀子氏を迎えている。

「日本にキャリアブレイクが浸透しないのは日本的雇用慣行の影響も大きい」と全記事にて書いたが、この著書の中で、論文を発表している専門家も同じ理由を挙げていた。著者である北野貴大氏はキャリアブレイク研究所という団体を立ち上げ、そんな日本おいて「キャリアブレイクを日本文化に根付かせたい」と、さまざまな取り組みをしている。

少し関心はあるが、今は自分のことに集中すべきだと思って参加はしていない。ただ、団体の方針や目的には賛同できる部分が多く、いつかどこかのタイミングで関われたらいいなあ、と思っている。なんかもっと自由に生きれるよなあ日本人、という思いがずっとある。

 

閑話休題。キャリアブレイク本と同時期に、碇浩一氏の本をメルカリで買って読んだ。

 

碇浩一氏を知ったきっかけは図書館で借りた本、『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』だった。

その本にて、精神科医である碇浩一は、幼少時代に彼が病気のために療養所で過ごしていたときに出会った、北岡昌子という女性教師とのエピソードをこう語っている。

先生は僕たちのような病気の子でも特別視することがまったくありませんでしたね。「君は病気だから無理することはない」という代わりに「このくらいできるはずだ」と根気強く教えてくださるんですよ。
(中略)
痛いのを我慢したとか約束を守ったとか、そういうことではなく、それ以外の僕のあるかどうか分からない才能について正面から褒めてくださったんです。赤の他人の僕をどこまでも励まし、信じ、褒め続けてくれた人。それが僕にとっての北岡先生でした。

※藤尾秀昭監修『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』より

病気で小中学生の頃の大半を療養施設で過ごした碇浩一氏のそばにいた、北岡先生との運命を変えた出逢い。その1ページを読んで、もっと彼の人生を知りたいと思った。なぜなら、わたしにも彼に似た出来事があったから。碇氏とは違って、わたしはたった1年間の担任だった教師だが、それでも今でも心に残る出会いだった。

包み込むようにわたしを見守ってくれたO先生。「きみならできる」と言外に語る先生の鋭く笑う目をみると、心や身体が勝手に動き出した。O先生は、わたしの人生観、教育観において大きな影響を及ぼした。それを碇氏のエピソードを読んで思い出したのだ。

イカリ少年がもらった奇跡の手紙』では、上記の北岡先生とのエピソードをはじめ、幼少期から精神科医になり、さまざまな活動をするまでの碇氏の人生が語られている。

母さん父さん、楽になろう: 幼老共生のススメ』では、ウイグル地区での100歳を超える高齢者やこどもたちが共生する文化に触れ、こどもと老人が親密な関係で共生する「幼老共生」を提唱している。碇氏はすでに閉鎖されてしまった幼老共生推進プロジェクトのサイトで以下のように説明している。

「幼老共生」とは、以前は当たり前だった老いも若きも、そして幼い子も一緒に暮らす生活の提案です。

私たちは「老いの課題」と「教育・保育の課題」は、別々に解決させる問題でなくお互いに有機的に結びあって考えていくべきことだと思います。「地域の中で子を育む」、この意識が人々に共有されたとき、バラバラになってしまった人のつながりは再び豊かに取り戻せるのではないでしょうか。

経験のある老人がやさしく、地域の子どもを見守ることは生きがいにもなる。子どもは、雑多な人間関係の中で、ゆるやかに遊び、すこやかに育つ。

碇氏はこの本を2000年に発売した。2001年1月にはNPO法人「幼老共生推進プロジェクト」を発足させる。その後もシンポジウム、セミナー、日中友好キャンプなどさまざまな活動を展開する。(参考:幼老共生推進プロジェクトの活動実績

彼は2000年時点で「2015年に高齢者が4人に1人になる見通し」から、今後の少子高齢化社会を見据えて幼老共生を提唱する。活動を続け、2010年発売の『トイレの神様』がヒットするとこれに啓発され、2011年に幼老共生を伝えるためのアニメ(ミュージックビデオ)を作り発表する。その動画がこれである。

 

製作総指揮・監修: 碇浩一、プロデューサー:森りょういち、監督:山元 隼一

まず監督に山元 隼一氏の名前があることが驚きであるが、タイミングとして彼が九州大学の大学院を卒業した年のプロジェクトということになる。Wikipediaには記載がないので、マイナーな活動の一貫であったようだ。

この動画を観て、少し泣いてしまった。内容はもちろん、碇氏が幼老共生を提唱し活動し続けていた、その熱意にやられた。YouTubeにてこのアニメが公開されたのが2011年。その後の国策等への影響を調べてみると、2013年1月に厚生労働省がほぼ幼老共生の考え方と同義である「宅幼老所」の取組についての資料を掲載している(リンク先の3)。

厚労省の定義する 宅幼老所(地域共生型サービス)は以下の通り。

【宅幼老所(地域共生型サービス)とは】
小規模で家庭的な雰囲気の中、高齢者、障害者や子どもなどに対して、1人ひとりの生活リズムに合わせて柔軟なサービスを行う取組。

上記資料にて、全国12か所の宅幼老所の事例が紹介されている。碇氏の提唱、行動は国が幼老共生という方向に舵をきるにあたって多大な活躍があったのではないかと推測される。碇氏は2000年に著書に考えを記し、2001年にNPO法人を立ち上げ、2002年に論文を発表し、さまざまな活動を経て2011年にアニメを製作する。

幼児期に満州から引き上げ、生きるか死ぬかという病気の子ども時代を乗り越えて、素敵な方とのめぐり逢いなどさまざまな経験を経てきた碇浩一氏。GoogleMapで彼の施設を調べると閉業になっていた。調べ進めると、2016年10月に71歳で亡くなっていたことがわかった。

図書館でふと手にした本の、たった1ページのエピソード。そこに親近感を覚えて真実性を感じ、碇浩一氏を調べ続けると、彼が考え続けた理想の社会の風景がそこにはあった。「まほうつかいじじぃ」の「じじぃ」というワードすら、そこに意味を込めた碇氏のやさしく、砕けた心持ちを想像させる。3世代家族が減り、核家族すら減り、独居が増えている昨今。わたしも幼老共生を提唱し続け、老いも若きも生き生きと暮らせる社会を望む。

 

 

キャリアブレイクと幼老共生、どちらも無職4カ月経過したわたしが、たまたま手にした本から知った概念である。自分はいかに生きるべきか、そんなことを考えるきっかけになった。

キャリアブレイクは、自分を見つめなおし、主体的に理想を考え、求める機会である。

幼老共生は、老いも若きも、そして幼い子も一緒に暮らす生活である。

両者をつなぐキーワードとして、「サードプレイス」がある。家でも、学校や会社でもない場所。近年、ネットコミュニティやコワーキングスペース、読書会などの発信をよく見かけるようになった。いわゆる、趣味や仕事など目的を同にする居場所だ。キャリアブレイク者もよく利用する場である。

一方で、老いも若きも障害の有無も関係なく、すこやかに交流し暮らせる場所。限定的な目的がなくても、ただ心地よく過ごすだけのサードプレイスがこれから大事になってくるのだろう。それは少子高齢化が進む現代、幼老共生の考えのもと政府や自治体の主導でも進めるべきだし、我々がその存在や選択肢を知ることが重要だ。

減少していると言えど、これからも子どもは生まれる。老人は増える。若者がいて、中年がいる。人間がこの地で生まれ、育ち、死んでゆくまで、どうあれば生きやすく、生きづらくないのか。自分自身がその生涯に向き合うことが、いずれ子を持ち、自らが老いたときの生きるヒントになるだろう。

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