2022-03-31

わたしのきれいなきれいな汚部屋

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私は3年間、汚い部屋に住んでいた。


4年前、転職を機に遠方の地に引っ越し、初めての一人暮らしを始めた。
恐ろしい速さで部屋が汚くなっていき、1カ月経つ頃には足の踏み場が半減、
3か月後には足の踏み場が無くなっていた。
私の部屋の家具配置は、
部屋の真ん中に電子ピアノ。片側に布団、片側にPCデスクである。
あとは空きスペースに服、本、CD、書類、ペットボトルなどが散らかっていた。
そういえば、IKEAで買った大きな白い棚は、結局退去まで使うことがなかった。

家族や同僚と話すと、
「部屋を片付けられない人ね」
「すぐ汚しちゃうタイプか」
などと言われる。その通りでもあるのだが、
体感としては、もはや私が部屋を汚しているのではない。
なんというか、部屋の方がおのずから汚くなっていくのだ。
そこにはもう私の信念や気持ちが入る余地はないだろう。
部屋、それ自身の精神性がゆえの行いなのである。

さあ、そんなことはどんなに伝えても、
周囲からは片付けができない人としてくくられてしまう。もうあきらめた。
いいです。私は片付けができない人で結構。認めます。まあ、実際には、
部屋が自分から汚くなっていってるんだけどね。

そういえば、実家に住んでいた頃も自分の部屋はすぐ本と漫画で散らかっていた。
年に1回は無理やり大掃除をさせられていたので毎年リセットができていたが、
独り暮らしはリセットタイミングが無いからいかんのだろう。

ちなみに1カ月で汚部屋になったこのアパートは、
3年住んで引っ越すことになった。
理由は二つ。

一つ目に、部屋を片付けるきっかけをつくるため。
『整う』と書かれたインテリ雑誌を買ってきては、
キレイな部屋を見て憧れていたのだ。

二つ目に、近隣の植物の花粉対策のため。
実はここに越してくるまで花粉症を自覚したことがなかったのだが、
窓を開けべランダで洗濯物を干そうとすると、
毎回くしゃみと目のかゆみが出ることに気づいた。
どうやらこの環境があかんらしい、
ということでこれが決め手になり引っ越すことになったのである。

しかし、問題はここからである。
もう時効なので言ってもいいだろうが(何罪?)
引っ越すことが決まり、掃除の前に徹底的にゴミ集めをした結果、
まず部屋には、大きなごみ袋30枚分のペットボトルがあった。

深呼吸をしよう。読み間違えてはいけない。
真実を受け入れよ。では繰り返す。

30本のペットボトルではない。ごみ袋30枚分のペットボトルのゴミだ。
7割ぐらいのペットボトルが潰れるタイプと仮定すると、
1枚のゴミ袋に大体30個ぐらいは入るだろう。500mlも2Lもあるし。
いよいよ、悪魔の計算式を立てる。

ペットボトル30個 × ごみ袋30枚 = 900個

これ以上は語るまい。
私は、900個のペットボトルとともに寝食を共にしていたのだ
ちなみに空き缶も5袋分ぐらいはあったと思う。
その他の燃えるゴミ、燃えないゴミとすべて合わせると
45袋分ぐらいゴミが出た。恐ろしい。

さあ、死ぬような思いでペットボトル軍団を倒しても、
鬼のように散らかった部屋(リビング)を目の当たりにする。

ベランダではなぜか衣服が数着放置され
幾度の台風も経て原型をとどめなくなっている。
嵐と日差しを交互に浴びてきたプーマの短パンは色あせ、
黒かったのが茶色っぽくなっている。

キッチンは、サビと腐海からなる世界である。
ここにはいかなる生命も存在できない。
初めての料理にハマって買った無印の鉄製フライパンも、
おしゃれな雑貨屋で買ったアンティークなレトロコップも、
ここで涙のお別れとなる。

トイレ、浴室、洗面所は、
汚れが放送禁止レベルであったため、
言葉を選び、かいつまんで言うとする。

まず、洗面所。
毎日手洗いや歯磨きを行うのだが、
なぜか洗面所に入るたびに臭く、吐き気がするのだ。
暮らし始めて後半の方は息を止めて歯磨きをしていた。

浴室。
カビだらけ。浴槽はついぞ1度も使うことはなかった。
引っ越しが決まってから、二重マスク×二重手袋で掃除をするも、
毎回20分ほどで精神的限界がきて断念。

トイレ。
放送禁止レベル、文章にするのも憚られるレベルのため割愛
割愛のって字が愛おしいという意味もあるし、バランスとれたかな?

そしてリビング。
引っ越して3年経っているのに、
入居時の巨大なダンボールにCDと本が大量に入ったままである。

ちなみに、これはきれい好きで片付け上手の私からの忠告だが、
引っ越し時のダンボールは絶対に即撤去しないといかん。
ゴキブリのえさになるから。

その節は、いろいろと、何度も対戦ありがとうございました。
今後は一切連絡をしていただかないよう、よろしくお願いします。


と、そんな状況であったため、
期限ギリギリ主義(先延ばしヤロウともいう)の私は、
退去日当日の午前に、人生初の家事代行を頼んだ。
というか、1週間前まで自力で掃除したのだが、
もう疲れ果て、やる気も失ってしまったので頼らざるを得なかった。

退去立ち合い開始が13時から。
家事代行時間が9時から12時まで。

これは聖戦である。
事前に電話でやり取りした、加藤さんにすべてを託すしかない。

当日朝、8時55分に加藤さんが到着。
40代前半あたりとうかがえる、言葉遣いが丁寧な女性の方であった。
掃除の優先順位を伝え、さっそく取り掛かってもらう。

自分一人でゴミ捨て・片付けは終わっていたため、
私たちでやるのはほぼ掃除だけ。
加藤さんにお願いしたのは、風呂、洗面所、トイレ、玄関、ベランダ。
汚いところばかりやないかい。申し訳ありません。
その間に私は、リビングの仕上げ、部屋全体の床清掃、
家具の運搬を行った。

作業が終わる12時直前、
仕上げのベランダの掃き掃除を終えた加藤さんは言った。

きれいな、良いところですね

ああ、そうだった。

4年前、ここに内見に来た。
リビングのカーテンを開けると、
ベランダ越しに田んぼが広がり、川も見えた。
綺麗なところだ、と思ってここに決めたんだった。

てんとう虫が、木漏れ日の当たるサッシを歩いていた。

「てんとう虫さんも、見送りに来たんですかね」
「そうですね」

加藤さんは、時間が過ぎても玄関の掃き掃除をしてくれた。

「時間ですので、もういいですよ。ありがとうございました。」
「ありがとうございました!」

加藤さんは帰った。


引っ越して1か月でここは禁断の地と化し、
3年間、誰一人として家に上げることはなかった。
はるばる来た家族も、友人も、職場の同僚も、
誰も招き入れることはなかった。僕が頑なに人を入れないから、
家に死体でもあるのかと言われたこともある。

最後に、晴れた日の綺麗な窓からの景色を見ることができて良かった。
どうしてここに引っ越したのか2年以上ずっと忘れていて、
退去日にそれを思い出すのは、少し悲しかった。

今までありがとう。

思い出は美化されるという。
マイ・ダーティ・メモリー・ハウス、いや、あのアパートの部屋も、
思い出の内に美化され、きっとそのうち綺麗な部屋になるだろう。


私は3年間、きれいな部屋に住んでいた。

ベアーズのハウスクリーニング

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