コナン系女子の追憶
怒らせたら怖いと有名な、まりえ(仮名)という女子がいた。
とはいえ、男子たちはみな恐れるというよりからかって、まりえのその反応を楽しんでいるようだった。
まりえは読書家だった。どちらかというと大人しいが、振る舞いに知性が感じられた。男子たちにからかわれても、ケガをさせない程度に蹴りの力を加減したり、空振らせているように見えた。
月に一度の席替えで、まりえが隣の席になった。僕もまりえも普段は無口な方で、普段あまり話すことはなかった。
小学校2年生ぐらいだったか、音楽室でピアニカの授業を受けている時に、まりえがインベンションのはじめの部分を弾いたのを聴いた。その後の放課か授業のときに、「おまえさっきあれ弾いてただろ、インベンションみたいなやつ。」と声を掛けた。「知ってるの?」とサッと言う。冷めた返事に思えたが、彼女が大抵このテンションで喋るのは知っていた。「習ってるからね」と彼女が続ける。兄弟のピアノを聴いてうっすらメロディと曲名を覚えていた僕には、授業中に隣の席の人間がそれを弾くとは思ってもおらず、それを聴いてかなり興奮していた。僕はその興奮を抑え、平静を装い、彼女のテンションに合わせて何かを話した。それがきっかけでたまに会話をするようになる。
ある時、たしか国語の授業かなんかで戦争の話が出てきたときだったと思うが、まりえが独り言をブツブツ言い始めた。
「昭和●●年、第二次世界大戦。戦闘機B-29が襲来し・・・」
そう語るまりえの眼鏡は、光って見えた。瞳が見えなかった。コナンかと思った。
「は?なにいってるの」
「知らないの?本とかに載ってるじゃん」
僕は彼女に憧れた。クラスには絵や工作、書道など何かに秀でた者は何人もいるが、そんなことより、彼女の大人びた知性に魅せられたのだった。彼女には敵わないと思ったが、いつか同じ立場で話したいと思った。
時が経ち、小学校5年生のころ、まりえと同じクラスになった。3年前コナン化しかけていたまりえは、変わらず大人びていた。小5ともなると、周囲の児童らも少しずつ自我が確立しつつあり、パッと見の様子では違いがわからない。しかしまりえと接するとわかる。彼女だけは、言動=本心ではない。言い換えるならば、まりえには他の奴らには無い、『何かを抱えている感』があるのだ。単純に、読書家だから知識が豊富なのか?想像力が豊かで物語を考えているのか?未来から来たのか?もしくは本当にコナンのように、見た目はこどもで頭脳は大人なのか?僕には答えがわからなかったが、その『つかみどころの無さ』が彼女の魅力であることは確かだった。
算数の時間、授業で難しい問題が出て、隣の席に座っていたまりえと、「〇〇が答え?」「いや△△でしょう」と口論になった。普段はそんなに話すわけでもないが、考え方や式の計算を話し合い、ここがこうだからこうなるはず・・・と話した。結果、どちらが正しかったかは覚えていないのだが、まりえと対等に、真剣に話せたことがとても嬉しかったのを覚えている。
正直に言えば、あの頃僕はまりえのことが好きだったと思う。が、それは恋かと言われると、それもまた違うような気がする。知的で、ミステリアスな彼女に対する憧れが強く、『こんな人と討論や研究をしたい』という欲求に近い。つまり、恋愛関係を超えた友人として、一人の人間として惹かれていたのだ。
結局、私はまりえにそんな気持ちを抱いたまま、小学校を卒業し、中学以降、関わることはなかった。
それでもいつも心の奥には、メガネを光らせたまりえがいた。今振り返ると、彼女ともう少し関わったり、告白するような人生があってもおかしくなかったと思う。
もしかしたら、僕は無意識の内にまりえを知ることができないルートに進み、永久の空間の中に「ミステリアスで知的な彼女」を封印しておいたのかもしれない。
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