ドラえもん『かべ景色きりかえ機』~心に残る話シリーズ~
気づけば今年も3分の1が過ぎ、桜が散りはじめんとする頃になった。
桜や花見の時期になると思い出す話がある。
ドラえもん31巻に収録されている、秘密道具『かべ景色きりかえ機』の回である。
手短に言うと話の内容は、家族で花見にいく予定だったが当日になりパパの仕事が入ってしまい、のび太が行きたい行きたいと言っていると、ドラえもんが『かべ景色きりかえ機』で壁に本物の桜を映してくれるというもの。
家族の予定が急な用事でかなわなくなり、子どもが駄々をこねる、定番の場面である。
そんな定番の話だが、初めて読んだ小学生の頃から、心の片隅にそっと残り続けている。
どうして心に残り続けているのだろう?ふと気になって、久しぶりに話を読んで確かめたくなり、Amazonで注文した31巻がさっき届いた。
10数年ぶりに読み返したがやはり良かった。
なにが良いのか?そしてなにが心に残ったのか?
昔は言葉にできなかった気持ちを、いま記しておこうと思う。
この話の好きなところ
1. 行き先が花見であること
野比家が出かけるのが(結局行けなかったけど)遊園地やテーマパークでなく、花見であった。これは私の話だが、大人になったいま、遊園地やテーマパークはあまり興味ない。一方で、公園や花見など、自然を心から楽しめるようになった。さらに言えば、ドキドキするアトラクションよりも、きれいな景色を見ながらご飯を食べる、そんな暮らしの方が良い。
この回の中でも、『かべ景色きりかえ機』で桜を見ながら、『グルメテーブルかけ』でごちそうを食べながら桜を楽しむのび太とドラえもんの描写がある。今私は一人でそれをやっているが、この話を読んでいた小学生の私もまた、景色をみながらご飯を食べるが好きだった。
2. 野比家みんなの、相手を思う気持ち
花見を予定していたのにパパが急に日曜出社になってしまい、「ひどいひどい」と口にするのび太。「しかたないでしょ」とママがたしなめ、「パパだっていきたかったと思うよ」とドラえもんが秘密道具を出して壁に桜を映し、ごちそうを食べるのび太。
夜、のび太たちが寝ていると、「ただいま」のパパの声で目が覚める。「のび太にはかわいそうなことをした」「お花見できなくて残念だったわ」との会話を聞いたのび太は、パパとママにもお花見をさせてあげようとドラえもんに提案する。
ラストのコマでは、『かべ景色きりかえ機』で桜を映し、パパが「夜桜もいいもんだね。」と口にし、みんなが笑顔になるところで終わる。
最後のコマの特筆すべき点は、のび太がパジャマであること、そしてのび太が嬉しそうに手を伸ばして「ほら桜が見えるでしょ」と言わんばかりのポーズをしていることである。楽しみにしていた花見に行けず、親に散々言ったあと、パパやママに桜を見せてあげようなんて優しい気持ちを、果たして私たちは持っていただろうか?いや、持っていても、それを実行できただろうか?子どもではなく大人になった今も同様である。どうしようもないことがあったときでも、相手への気持ちを忘れずに持って対応できているだろうか?
この話を一言で「平和だ」と表すこともできなくはない。しかし、平和という単語の中に、いくつものニュアンスと、それに付随する大切なことが閉じ込められ消えてしまう。
仕事、家庭、人間関係、病気、事件、事故、災害など、どうしようもないこともある。その瞬間、それ自体を恨み、関わったすべてを否定したくなることもあるかもしれない。しかし、大事なのは、どうしようもあることをどうにかしていこうという、ささやかな、前向きな姿勢ではないか。
炎上、炎上の世の中である。
ただ、燃えようと燃えまいと、信念として正しく、誠実に物事に向き合っていきたい。と、そんなことを思った。
こんなことを漫画にできる、藤子・F不二雄さんはすごい。
私も、棒人間しか描けないけど漫画家になろう、と、思ったけど、中学の美術の時間、隣の席の女子の似顔絵を真剣に描いたら(へたすぎて)泣かれてしまったので、やめておきます。
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