2022-03-12

【愛の哲学】藤井風『優しさ』歌詞・MVの意味を考察

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「藤井風のこと、めっちゃ前から知っててYoutubeみてたし!」
「いつデビューするかと思ってたんだよね!」

と口にする全国10万人の古参ファンの方、
それからラジオ、CMや紅白など昨年のメディア露出から彼を知った方、
こんにちは。

今日は彼の楽曲『優しさ』の歌詞とMVについて考察していきます。


歌詞考察

今何を見ていた あなたの夢を見た
優しさに殺られた あの人の木陰で
今何を見ていた あなたの影を見た
優しさに震えた あの腕の中で

楽曲を通して出てくる
あなた=あの人とは、つまり母なる存在。
母なる存在とは、
自分に愛(=優しさ)を注いでくれる存在のこと。
MVに出てくる青いバラをまとった存在にあたる。

ちなみに青いバラの花言葉である「不可能」の意味より、
青いバラは「愛を獲得する前(不可能性)のわたしからみた愛」の比喩だろう。

”今何を見ていた あなたの夢を見た”という表現は、
優しさに衝撃を受けた頃を思い出している。
あなたの木陰(後ろ)につきながら、
あなたの腕に包まれながら、
ただあなたの優しさを強く感じる夢のような記憶……

”優しさに殺られた”は、
優しさに触れ、人生観が一変するような衝撃を表している。

ちっぽけで からっぽで 何にも持ってない
優しさに 触れるたび わたしは恥ずかしい

知らぬ間に 失くしちゃうから
心に深く刻み込んだ あなたの眼差し

無償の愛、優しさをくれるあなたに対して
わたしは優しくできない。
あなたのくれる優しさに殺られて、
わたしも優しくなろうとするが、日々に埋もれてすぐ忘れてしまう。
だから忘れないように、あなたの優しい眼差しを深く心に刻む。
 

今何を見ていた あなたの目を見てた
優しさに殺された あの人の木陰で
今何を見ていた あなたの影を見た
優しさに震えた あの腕の中

冒頭のサビ”あなたの夢を見た”から、
”あなたの目を見てた”に変わっている。
あなたの目を見て優しさ忘れないようにしながら、
いよいよわたしが優しくなりつつある、
つまり愛を知り、実践しつつあるということ。
 

置き去りにした愛情を 探しに帰って
温もり満ちた感情を いま呼び覚まして
凍えた心が愛に溶けてゆく
花の咲く季節が戻ってくる

人間が誰しも生まれ持っている『愛』を探しに帰る。
社会にまみれ、こびりついた世間的な価値観から
純粋無垢で、あるがままの心に還っていく。
置き去りにした愛、
生まれながらに持っていた愛、
満ち満ちた感情が戻ってくる地点に向かう……


※このあたりの歌詞から、
藤井風の思想としての”ハイヤーセルフ”が歌詞の世界観に読み取れます。

ハイヤーセルフとは?

『何なんw』の楽曲解説動画で藤井風本人が口にした概念。
ハイヤーセルフとは、一般的にスピリチュアルや
宗教的な意味で理解される概念であり、端的に言えば『高次の自分』。

解説動画の中で、彼はハイヤーセルフについてこのように述べている。
・「神様みたいなもの」
・「一人一人の内に存在する」
・「エゴ・利己心・嫉妬といったネガティブな感情とは無縁なもの」
・「そのすべては愛である」
これらを踏まえて考えると、
ハイヤーセルフを探すことも優しさを取り戻すことも
広義の「悟った」状態に近いと言えるだろう。 





0:25~1:00あたりにハイヤーセルフについての言及がある


今何を見ていた あなたの目を見てた
優しさに殺られた あの人の木陰で
それだけで良かった 何より強かった
優しさでよかった ただそれだけで

優しさ、それだけでよかった。
優しさは頼りないものではなく、弱いものでもなく、
強いものである。(本人インタビュ―より。)

哲学的MV考察

青いバラ、青いバラの服をまとった人物

バラの花言葉は「愛」。
しかし色によって花言葉にバリエーションがある。
青いバラは「不可能」「存在しないもの」という花言葉。
ここからイメージしていくと、
青いバラはつまり、愛を持っていない自分からみた愛の象徴だろう。

そして青いバラの服をまとった人物は、
愛を与えてくれる母なる存在。
ただしシルエットが最低限であることや、
1:32~あたりの大きな黒い手の影が藤井風を撫でるシーンから考えるに、
特定の人物を意味しているというよりは、もはや優しさそのものが
具現化したものと読み取れる。

 

Ah~(2:53~シャウトシーン)

崖の方に歩き出す青いバラの服の人物を走って追いかけるところでは、
優しさをついに取り戻そうとしている。
すると確かに「優しさに殺られた地点」にはたどり着いたのに、
完全に優しさを手に入れられなかった気がする
(頂上の間に合わなかったシーン)。
 
優しさつまり愛は単純に「はいゲット!!」ってできるものではないから、
ある地点には立ったものの、追いつけなかった気がしている。
 
これって青年期のアイデンティティ獲得の場面と近い構造で、
例えば、青年期になって
自分とは何か?を考え探し続けるでしょ。
すると、「これか?」「これこそが自分だ!いや違う」という模索の中で
真似をしたり憧れたり、考えたり試したりした結果
「とりあえずこのよくわからん奴が俺ってことね」という、
ある種達観した地点に落ち着く。

この構造をこの歌やMVの表現するところの愛でいうならば、
青年期、例えば周囲や社会に流され、クールに振る舞うことが
カッコいいと思ってた人が、ある時、無償の愛を注いでくれる人に会ったり、
もしくは、幼少期から注いでくれた親の愛情にふと気づいたりして、
無思考でクールな自分が、一度優しさにぶっ壊される経験があったりする。

それでだんだん優しいってスゲェ!ってなった青年は
その優しさをゴールに少しずつ向かっていくわけですよ。
(ちなみに藤井風は、優しかった地元のミュージシャンの先輩について
 この歌詞を書いたとインタビューで言っている。)


でも、そこをゴールにしたって、究極のゴールにたどり着けるわけがない。
むしろそこまで来て「愛とはなにか?」を考え続けることしかできなくて、
終わりのないゴールしかないわけである。
少なくともググって出てくるものでもないし、
スキルみたいに短期集中で身につけるものでもない。
そういう意味であれここじゃないの?っていう感じが、
追いかけて間に合わなかった描写に表れてるのではないか。
 

ラスサビ (3:08~)

笑顔、真剣な表情、駆けるシーン、回想としての青いバラの服

優しさが一つの地点までたどり着き、
生に自由を見出してる。愛を知った生が躍動している。
ふと思い出される、ここまでの優しくなるまでの想い出や経験。

床に散ったバラは、置き去りにした愛。
散らかってはいるけど
未獲得の憧れていた青いバラとしての愛ではなくて、
わたしが愛に辿り着き、呼び覚ましたから白やピンク色のバラになっている。
 

白いカーテンのシーン(冒頭~0:40、2:17~2:52、3:53~)

ここまで来てお気づきだろうか?
MVの中に大きく3つの時系列が描かれていることに。

  1. 青いバラの服の人物との回想シーン。幼子のような描写で横になっている。
  2. 青いバラ柄のソファーに座っている時。表情豊か。
  3. ②と同じ空間だが、ソファーカバーが青いバラじゃなくグレー単色になっている。
    表情が豊かで、動きが激しい。(Ahhのシャウト後)
  4. バックが白いカーテンの時。表情が穏やか、儚げ。動きが少ない。


以下、展開と解説。

  1. 優しさに触れ、ただぼんやりと享受している。青いバラの人物
  2. 優しさに気づき、殺られた私は、愛を覚えようとする。青いバラのシートカバー
  3. 優しさを求めてある地点にたどり着いた。愛の喜びと生の自由。
    散らばったピンクと白のバラ。
  4. 真に優しさを理解しようとした者。動きは少なく、表情も穏やかである。
    隣に携えたピンクと白のバラの花束。
    白い布で覆われた空間に在るわたしは、
    時間や生死を超越した愛の存在としてのわたしになった。


 

さいごに

考察すればするほど疲れた。
でもね、一番すごいと思ってるのは、
藤井風が「優しさ」という哲学的テーマについて、
本人のあらゆる力を駆使してここまで表現してること。
いや、そんなことなんでおまえが言うんやというのもわかるんですが、
しかし彼が作詞・作曲・歌・ダンス、その他パフォーマンスやってるわけで、
そんでもって哲学的テーマをこんな良いメロディと歌詞に載せて歌って演じるって
これやばくないですか?ハイヤーセルフというか、ハイヤー人類?

3/20新アルバム発売ということで、
また気になる曲あったら考察記事書くかも。

またね!

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