2023-03-22

わたしは何のために書くのか

「はやくゲームをやめてブログ書かなきゃ……ブログ収益化して、仕事やめて、はやく理想の田舎暮らしに向けて進まなければ……」

そんなことを思いながら、ブログ設立から2年経った。
ブログの収益は、2年間で1200円である。
(厳密にはnoteに書いたAmazonセール関連の記事だが)

サーバー代が年14000円程度なので、
28000-1200=26800で、
26800円の赤字である。

26000円あれば、サイゼに20回行けるやないか。
いや、それは違う。これは未来への投資である。


1冊の本を読んで、WordPressを始めサーバー契約したあの時、
私にはブログだけで生計を立てている未来がしっかりと見えた。

厳密にはブログというより、『何かを調べつくして書く行為』を仕事としている自分が鮮明に見えたのである。

それはまるでドラえもんの秘密道具であるタイムテレビで、
モニター越しに映像を見るかのように、見えた。

だから私は書くことにした。ブログを開設した。
でも、中学生の頃から書き続けていたエッセイ的な記事を書けばよいのか、
収益化しやすいアフィリエイト記事を書くべきなのか、
迷い、さまよい続けていた。


気づけば私はこの2年の間に、
ブログ・アフィリエイト関連の記事や動画を探し回り、文章術の本を20冊ぐらい読んでいた。
その他、ビジネス関連の本を100冊ぐらい読んだ。

結局こうするんだな、と理論ばかり詰めこんで、なにも実行できていなかった。

休日は趣味のピアノやゲームばかりしていた。
隙間時間に読書で、ブログ記事は2年間で20個である。

「はやくゲームを止めて、未来に繋がることをせねば…」

ブログを書いていないことに対し、ストレスを感じていた。

日々をゲームとピアノに費やした。

こう書けば少し見た目は良いのかもしれないが、
ダメだとわかっていて続けているのは、
私にとって、酒や薬を続けているのと変わらない。
全然関係ないけど、お薬手帳って名前、薬物手帳にしても意味は一緒だな。
 


話がそれた。
なぜゲームやピアノが、酒や薬と変わらないかというと、
「ゲームやりたい」「ピアノ弾きたい」という気持ちではないときも、やっていたから。
ゲームやピアノをやらなかったら、私はブログを書くという現実に向き合わねばならない。
でもそれは疲れるし、面倒だ。書き始めるのが億劫だ。
だから、自分にばれないように、このままゲームをやり続けよう。

正直に振り返るとそんな毎日だ。


しかし、
書き始めると、まれにノッている時がある。
そんなときは止まることなく書き続けることができる。


思えば、昔はそうだった――


中高生の頃に書いていたブログがあった。
最初は同級生らと、くだらない日常やネットゲームのことを書いていた。
しかしだんだん日常が、抽象的に、いわゆるエッセイのようになっていた。

国語の教科書に載っている、評論の影響が強かったのだと思う。
最初は評論の真似事をして記事を書いていたのだが、
それが徐々に楽しく、そして何か自分の中で真実を探し求めるような取り組みになっていた。

家族が寝静まってから、静かな夜、一人でパソコンに向かい合って言葉を紡ぐ時間が好きだった。

大学に入るころには、詩や哲学に傾倒し、
ブログでは自分の中に浮かぶ空想世界をただただ書き記していた。
あれは、たぶん他人には読めないものだっただろう。
 

大学といえば、卒業論文を書くときも、楽しかった。
周りが半年ほどかけて研究するところ、
期限ギリギリ癖を発揮し2か月でやらないといけなかった。

あちこちの図書館を駆けては、本を借り、取り寄せ、ただただ調べて論理を組み立てる。
寝食を忘れて取り組んだのは、ゲーム以外ではあの卒論が初めてであった。
あのとき、私は日常世界から遊離したところで、一人で走っていた。

ページの向こう側にいる、あなた、
時代や空間を超越し、文字だけで対話をするあなた。
あなたが遺した、記した事実や感想、考え方、
それをくみ取る作業だ。外国語は読めないから、その単語に翻訳された意図を想像した。
それは、一人であって、一人ではない。
線と線が交わる邂逅ではない。
私も、これを記したあなたも、同じ点で交わったのだ。


卒論を書いたあの頃のことを、ロマンスだった、と思う。
私の書いた卒論は、「私とは何か?」である。

私は、調べ、考え、書くことを、ただ心から愛していた。
知りたいことを知るために、少しでも真実に近づくために、書き続けていたかった。
私は、卒論を書き終えたくなんてなかった。遠い昔の知らない研究者と、公園でゆっくりと語らいたかった。
 


 
そうだ……

私が書きたかったのは、知りたいことを、調べて考えて書くことだった。


読者のためでも収益のためでもなく、
まず自分が読みたいことを、そして書きたいことを書けばいいではないか。

大したスキルも経験もないくせに、私は驕っていた。


全然関係ないけど、お薬手帳って名前、薬物手帳にしても意味は一緒だと思いません?
お薬という言い方も無駄に丁寧すぎるし。それならば薬物手帳にして、全国の薬局でひと笑い作るのはどうですか?どう思いますか?薬物手帳は?どう?

 

 

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