ダメ人間、やってきたバイトを語る
「もう働きたくねぇ~好きなことさせろ!」
という思いで、安月給のサラリーマンを何年もしながら今ブログを書いています。こんにちは。めり込まざる者といいます。田舎行きたい。一人で仕事したい。
仕事の話をすると、大学3~4年の就活タイミングは3社受けて、途中で就活を辞めました。どうしても、やりたいことがない、働く理由がわからなかったから。
NNT(無い内定)のまま大学卒業後、2か月間天井をみつめる日々を過ごしました。
それから地元の中小企業に就職。
そして2年半で退職し、今度は1年間のニートひきこもり生活。
その後に転職、現在勤めて6年目を迎えようとしています。
なにか新しい仕事を始めたいなー、働きたくねーなーと思いつつ、ビジネス書を読み漁っていると、
『過去の自分を振り返ってみよう!』
としょっちゅう出てくる。
というわけで……今ここでバイト体験の思い出を語り明かそうというわけです。当店ではウイスキーとコーヒーとミルクが常備してありますので、ともに飲みながら朝まで話しましょう。
①家庭教師
期間:3年 時給:1500円~2500円
大学1年~4年にかけて、一番長く続いたバイト。合計で4人の中学生を担当。
最初は派遣業者を通して担当生徒(1人目・りょうへい君)が決まる。
指定教材が使いにくいので教材を無視して違うテキストを用意して使っていると「高い教材費を払ったのに教材を使っていない」と親から業者にクレームがいき、業者に使えと怒られる。
その後、お母さんと話し、『指定教材を自習用・私の用意した教材を授業用』とすることで話を収める。
たまに私が遊戯王カードを持って行って、授業後にりょうへい君と決闘(デュエル)をしていたが、一度、デュエルが白熱し何戦もしているとコン、コンとお母さんが入ってきて差し入れのケーキを持ってきてくる。瞬間、私の胸の辺りから魂が遊離するが、「今日はかなりがんばったので」とか適当なことを言って事なきを得る。
2人目・3人目は短期間の担当だったが、生徒の親同士の口コミで4人目の家庭とは会社を通さずに家庭教師の契約に結び付けられた。交渉の末、時給は2500円になったため心の中では歓喜。
結論:家庭教師は、終始自分一人で完結するところがやりやすかった。指導時間内でやることをやってしまえばあとは遊んだり雑談、というのは成果主義的な思考が自分の根っこにあるからかなと思う。成績が上がって志望校に合格すれば文句はない。
②引っ越し
期間:1カ月 時給:1200円
学費用の奨学金を使い込んだのが親にバレて、すぐにお金が必要になったので仕方なく始めた。
8月~9月という地獄の時期にやっていた。予想通りガチガチの体育会系ノリで、力と体力がない私は毎日怒られていた。
毎日バラバラの社員のトラックに乗せられ、真ん中の席に座る。日々怒られながらわかったが、社員には大きく二つのタイプに分けられる。怒る人と怒らない人だ。当たり前だ。でも、それが極端だった。学校教師のようにネチネチ言うような人は一人もいなかった。怒る人は徹底的に怒る。怒らない人は決して声や態度を荒げずに諭してくれる。そういう意味では、わかりやすく人間的な環境だった。でももう二度とやらない。
それから、現場で毎日「おまえはShowcaseを運べ!」「Showcaseはこっちに置いて」と皆が口にしていたもの、あれが”衣装ケース“のことだと知ったのは、引っ越しバイトを辞めて5年ほど経ったころだった。
結論:服を入れるのに使う、何段かの引き出しになっているのはShowcaseではなく衣装ケースである。
③ホールスタッフ
期間:1週間 時給:1200円
派遣業者を仲介した、繁忙期の期間限定のホールスタッフ。
出勤初日に「今から出勤します」と派遣業者の担当にメールを入れると、「めりこま君はホール経験6カ月ってことになってるから、がんばって」とか返事が返ってくる。バカヤロウ。未経験でも良いって言ってたじゃないか。面接時に伝えたぞ。「未経験っていうと通らないかもしれないから」じゃないんだよ。
初日に大活躍(常に足元がおぼつかない、ビールをこぼす、席を間違える)すると、翌日、責任者らしき人が現れて「きみ、名前は?」と聞いてくる。「めりこまです」と答えると、「……半年ねえ……」といって含みのある表情をして去っていった。くそ。
結論:派遣業者の担当の古川を一生恨む。あと、ホールは向いていないことがわかった。
まとめ
当店の粉ミルクの在庫が無くなってしまったので、今日の語りはここまでとします。
『働くってなに?人間の生きる意味とは?』という本日のテーマは、また次回。
りょうへい君、元気かい?
コメントを残す