1分以内にトイレ掃除をしろ
勤め先にて、同僚たちが相次いでインフルエンザやコロナに感染し、療養に入った。残された私には、溢れんばかりの仕事が舞い込んだ。こんなことなら、風邪気味でなく、しっかりと体調を崩せばよかった。そう独り言ちていると、同僚らが復帰する前の日になって倦怠感と発熱に見舞われる。病院はとても混んでいた。検査後、多忙な医師が「インフルでもコロナでもない」と言うやいなや走り去り、診察が終わった。喉風邪、ということでよろしいか。
療養という名目で、3連休になった。薬は飲んでいるし、喉の痛みや頭痛はまだあるが、それなりに生活できる程度には回復した。今日はその3連休の最終日にあたる。去りゆく休みを慈しみながら、静かに休んで思い出したことを書き残しておきたい。
日常と生きがい
『日常を大切にしなさい』『日常の中にこそしあわせがある』、よく聞く言葉だ。日常を良く生きようという気持ちは、慣れや面倒くささのなかに埋もれてしまうものだ。だからまずは日常を分解しよう。
日常を、衣食住、仕事、関わる人間、使う物品、趣味と分ける。
今回、3連休で人に接したのは医者とコンビニ、スーパーの店員だけだったが、気楽だった。また、同僚が感染症でダウンしているとき、部署にひとりきりで仕事をすることも多かったが、大変心地よかった。が、後半あまりの多忙さとつまらない業務内容が嫌になった。興味のある分野で開業しようとしていたのは、どうやら方向性は正しいようだ。いいきっかけになったので、はやく退職の準備を進めていこう。
それからトイレ掃除をやった。何言ってるんだと思われるかもしれないが、ここに住んで3年ほど経つが初めてのトイレ掃除である。とてもきれいになった。掃除や片付け、これらは我が人生の天敵であるが、気が向いたときにやるようにしたい。
療養中、空き時間に映画を観たり、ゲームをしたりしていた。が、正直つまらなかった。もはや日常と化したネットゲームも惰性で、あまりワクワクしなくなった。映画についても、『日常』というくくりで観るのは私には向いていないらしい。あくまで『非日常』として、週1本ペースで観るのが良いようである。浸かるように情報を浴びる昨今、人間の”あたりまえ”や”しあわせ”がどれほど人によって違うのか、少し敏感になっていた方がよい。
しあわせと言えば、昨年完結した『進撃の巨人』のアルミンの言葉を思い出した。
「僕はここで三人でかけっこするために生まれてきたんじゃないかって」(アルミン・アルレルト)/コミックス34巻 第137話より
詳しい背景は省くが、これは劇中キャラクターのアルミンが敵と対話して生きる意味について語るシーンでの言葉である。子供の頃、幼馴染たちとかけっこをしていた、何気ない日常にこそしあわせがあり、生きる意味があったのだと語っている。
ふと自分を振り返ると、近いものがあった。小3のころ、友達の庭で子どもだけでテントを張り寝たこと。小5のころ、運動場で寝そべって見た、青い空と白い雲。小6のころ、引き込まれて夜更かしするほど面白かった小説。中学の夏休み、1人で自転車をこいで行った図書館。
私にとっては、自然や芸術(文学や音楽)がとても大切で、生きがいである。そして、作品を享受するだけでなく、自ら制作し続けていきたい。そんなフェーズに来たのに、創れていないのがこのもやもやした気持ちの原因なのだろう。自分の生きがいや生きる意味を忘れないように、今自分がどこに向かっているのか、自覚的でありたい。
この記事を振り返っている自分のために要約するならば、
『おまえの心動かされた体験を思い出せ』
『ひとりの仕事は多分向いてるから安心して進め』
『これを見たら1分以内にトイレ掃除をしろ』
『ゲームするならば、依存を断つための工夫を5つ以上しろ』
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