ひねくれダメ人間が地獄の訓練に行って、さらにひねくれて帰ってきた
「狂ってるね」
突然だが、私にとっての最大の褒め言葉はこれである。
「かっこいい」が20ウレシイだとすれば、「頭良い」が30ウレシイ、「変わってるね」が200ウレシイ。「狂ってる」が255ウレシイでトップである。
先日友人が、「俺は『変わってるね』なんて言われたくない。『普通だね』が良い」と話していて驚いた。まるっきり自分と正反対ではないか。それでも我々は同じ人間なのだろうか?考え方や価値観は人それぞれである。
自分は簡単に言えばひねくれもの。「人と同じこと」がイヤで、何事も他者とちがっていたい。大して得意なものがない自分のアイデンティティの大部分は、「人と違うこと」で確立されてきた。例えば、周囲と違う音楽を聴いてみたり、流行りでなく古いゲームをやってみたりといった具合だ。
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以前、仕事を辞めて1年ほど引きこもったりニートをしていたことがある。朝10時に就寝して、夜8時に起きる、くそほどキレイに時差12時間の昼夜逆転生活で、父親に家から追い出されそうになった。そこまで追い込まれてやっとやる気になって転職活動を始めた私は、リクルートの中のとある部門で最終面接まで進む。ひねくれアイデンティティ野郎が事件を起こしたのはそのときだった。
選考メンバーが5人ほどがいる空間で、志望動機や思いを順番に話していく場面だ。ひねくれし者は、人と違うことを、周囲と違うことを言ってやろうと思っていた。順番が来る。
私「(前略)ただ私もこうやって最終選考を受けさせていただいていますが、やはり最終的にはご縁だと思います。それが故に私が落ちるのも、採用していただけるのも、どうしようもないことだと考えます。」
今思えば、元から性根が腐ってるのが、ひきこもりニートゲーマー(時差12時間昼夜逆転生活)でさらに歪んでしまい、性根が腐れ・ひねくれ・ねじれの三連技を決めてしまっていたのだろう。採用の可否がどうしようもないことだと伝えて、空気が凍り、時間が止まること以外に、一体何が起きるというのか。リクルートさん、失礼いたしました。
ところで、そのリクルート事件よりも前に勤めていた会社では、通称『地獄の訓練』という外部の研修に行かされた。『地獄の訓練』でググると、1つ目にwww.hell-camp.comという恐ろしいURLとともに、管理者養成学校という施設が出てくる。そうだ。ここに行った。この悪夢のような研修に参加してから何年も経つが、あのときのことを少し振り返ろうと思う。
研修で行くまでの経緯は、会社の代表が「TVでこんなのを見た!」と人事に話し、後日人事に呼ばれて参加を促された。それだけである。帰宅してネットで調べ、過酷な研修内容を見た。断ることもできたのだが、まもなく退職するつもりでもあったし、一人あたり30万の研修と聞いて、会社が行かせてくれるならいい機会だ思って参加することにした。
厳しい研修に参加しようと思った感覚としては、大学の頃にわざとあやしい自己啓発セミナーの勧誘について行って、途中で帰ったときと一緒だ。
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ちなみにあの時は、大学敷地内のベンチで1人で昼食を食べていたら「アンケートいいですか?」と声を掛けられた。「ボールで遊んだり、一緒に勉強したり楽しむサークルなんですが……」と勧誘し出したあたりですでに怪しかったが、「見に行きます!」と一緒に歩くと、アパートの1室にたどり着く。
見知らぬお姉さんが「おかえり~」と初対面の私を迎え、私は「ただいま(笑)」とノリを合わせ部屋に上がる。しばらくするとスーツ姿のアラサーほどのおじさんが現れ、「別室にて話がある」と連れていかれる。おじさんはPCで「山奥で合宿をして、チャレンジする精神を鍛えます」みたいなスライドを開きながら、セミナー勧誘を始めた。そのあたりで、(やっぱりそういうアレね)と実態がわかったので、「なるほど、行きたいんですけど僕バイトしてなくてお金ないんでまた連絡しますね」と言って帰った。
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と、自己啓発セミナーに勧誘されにいった話が長くなってしまったが、今回会社に促された研修についても、やる気も体力もないが、どんなものか少し見て体験するだけの興味はある。ただ、今回は富士山の麓で1週間も滞在するわけで、簡単にリタイアできないのが大きな違いだが、どうにかなるだろうと思っていた。そうしたら、あまりどうにかならなかった。
地獄の特訓の内容は公式HPに詳細がある。私が当時参加したのは多分『フレッシュマン颯爽研修』という、7日間の短めのコースだ。
具体的には以下のような研修がある。
・20km夜間行進
・行動力基本動作と呼ばれる、10か条の暗唱
・歌唱訓練。駅前の道路で大声で歌うときもある。
・報告書の作成。行数などの細かい制限があり、会社の上司や代表に郵送される。
・抱負スピーチ(最後のテスト)
これらは一部だが、列記しただけでもその過酷さが想像できるのではないだろうか。これら10項目の訓練を、私と14人の仲間の合計15人での共同生活で1週間行うのだ。我がチームメンバーは20代前半~30代前半ぐらいの若い男性しかいなかった。10項目のテストですべて合格すると、最終日のスピーチで、「この訓練で何を得たか、今後自分はどう変わるか」というテーマで抱負を語る。それが審査員に認められると晴れて卒業。研修を終えて帰宅できる。
私が一番苦手だったのが、暗唱系である。学生時代、君が代の歌詞が覚えられなくて毎回後半口パクだった。合唱コンクールは、歌が好きなのに歌詞が覚えれないのがつらかった。中学の頃は枕草子の暗唱テストで、クラスメイトの9割以上がスラスラ最後まで暗唱できるのに、自分は数文しか言えなかった。
だからこの研修でも、全然覚えられないし、受からない。そうすると、仲間の14人からもできない奴として下に見られる。当たり前ではある。ここで初めて顔を合わせ、この訓練の達成状況ぐらいしか共通の評価指標がないのだから。
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ひねくれ系男子の私がこの訓練を通して見ていたのは、『ルールが相手方に決められたフィールドでどう立ち回るのか』『追い込まれたときに人はどのように対処するか』『集団心理によって何が起こるか』であった。
求められることはほとんど、訓練の初日でわかる。
「きびきび動く」「大きくはっきりした声を出す」「長い文章を記憶する」「忍耐力を持つ」「練習して課題をこなす」
簡単に言うと、何事も全力でやり切ればいいのだ。
『厳しい訓練内容に備え、周囲の全力で取り組む人間の影響を受けて、全力でやるようになること』
ここでは、それが求められている。みんなが死ぬ気でやっている。だから自分も死ぬ気でやらなければならない。そういうところなのだ、ここは。
でも私にはそれができなかった。そもそも、何かを全力で取り組んだことがほとんどない。あるとすれば、高校のころ始めたピアノかと思うが、好きで始めたことだし、それも1カ月程度しか追い込んだ練習をしていない。他には、受験勉強など必要性があるから頑張ったこともあるが、それも学校に合格するレベルを目指せばよくて、過度に頑張ったり、違う方向性の努力をしても無駄なので体が動かない。第一志望落ちたけど。
正直に言えば、この研修を全力で頑張る価値が、少なくとも私にはないと感じられた。ひねくれていない正常な人にとっては意味があるのかもしれないが、そもそも記憶力がダチョウ並みの私が、低いモチベーションでこなせることではない。正確には、全力でやっても「頑張ってない」って言われるのがイヤだったのかもしれない。よく言われるし。それでも、やりたくないことは極限までやりたくない。
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何かを一心に頑張ることができない私は、14人の仲間から徐々に取り残されていった。みんながどんどん訓練をクリアしていくのを、月を眺めるような気持ちでみていた。早くすべての訓練を合格せねばという、ピリピリした空気の中、半泣きで不安な気持ちを吐露しつつ練習する人もいれば、静かに強い表情でひとりコツコツと練習を重ねて、合格する者もいる。毎日冗談をこぼしつつ、リラックスして取り組む奴もいる。
非日常的なこの特殊な環境の中でも、各人の乗り切り方がバラバラなことが面白かった。これでも我々は同じ人間なのだろうか?いや、皆バラバラだからこそ人間なのだろう。非常事態ともいえるこの過酷な状況に、いかに対処するのか。自分なりに物事を考え、感じ、何かに影響され、結果どうするのか。過程も結果も違うからこそ、我々はみな人間なのである。
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7日目、訓練最終日。訓練のクライマックスとされる抱負スピーチが始まると、半数ほどの仲間は泣きながら語っていた。そうなるのである。しかし何の涙かはわからぬ。7日厳しい訓練に耐えて練習し、合格を勝ち取り、ここまできた達成感か。その過程で得た大きな気づきがそうさせるのか。はやく家に帰りたいという希望と焦燥なのか。それとも、涙の意味は自分でもわからないのだろうか。
最後のスピーチで合格を得ると、公衆電話で会社に報告する。しばらくしてタクシーが来て、最寄りの駅まで行って完全に自由の身となる。本来はそういった流れである。13人、帰った。15-13=2。
私と、ひとりの青年は13人の仲間の卒業を見送った。我ら2人は補講、地獄の訓練の延長戦である。
延長期間いっしょに過ごしたのは、声量が弱めで、控えめな心優しい青年だった。みんな7日目の昼に帰っていったが、私たち二人だけは9日目の昼に帰った。タクシーにも二人で乗った。あまり話したことを覚えていない。やっと終わったね、ぐらいの話はしたと思う。一部方面のために記載しておくが、男同士、富士山麓、密室、2日間。何も起きなかった。当たり前だ。
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夕方ごろ、帰宅した。9日ぶりの我が家だ。
・めんどうくさがらずに何事も積極的に取り組む。
・ミスをしないように、何度もチェックをする。
・何事も全力で頑張る。
たぶんそんなことを、どこかで掲げたような……夢だろうか?とりあえず、ゲームだ。
日課であったネットゲームを4時間ほどやって、とりあえず、寝た。
朝起きて、ぼんやりと昨日までの悪夢を思い返していた。
あの研修で得た教訓は、以下のようなことだ。
「意味不明だったり価値観が合わない環境から抜け出そう」
「周囲の言動に振り回されず、正しい情報をもとに冷静に判断しよう」
「非日常的な出来事があったらしっかりメモなり記憶なりして、ネタとして語ろう」
「暗記系はあきらめよう」
「誰かが頑張っていたら応援しよう。自分はがんばらなくてもいい」
「何事も全力でがんばれ!」という研修を経て、「がんばらなくていいんだ」と学んだ。なんだか、研修を経てさらにひねくれてしまった気がする。でも私、「狂ってるね」って言われたいので……
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